*第30回都民塾のご報告

2015年7月16日(木)中央区築地本願寺講堂

第30回都民塾(呼び掛け人 立石晴康・東京都議会議員)が、平成27年7月16日午後7時から中央区の築地本願寺講堂で、三井海洋開発(株)の執行役員・Project開発部長の羽部正樹(はぶ まさき)さんを招いて開かれた。30回目のテーマは、「海洋石油開発と日本~一企業の挫折と世界への挑戦~」。

 7月は「海の日」。そこで世界各地で海洋石油開発の一端を担った羽部さんに、その体験談などを語ってもらった。羽部さんは、1958年、宮城県仙台市生まれ、慶應義塾大学法学部を卒業後、1982年、三井海洋開発に入社。海が好きで入社するも会社の解散、復興、上場とサラリーマンの悲哀と歓喜を経験された。
 三井海洋開発(本社・中央区日本橋)が設立された1960年代は、海洋開発ブームで、芙蓉、三菱、住友といった財閥系が同様な会社を雨後のタケノコのように設立。「今、残っているのは少ない」という。同社の業務内容から説明した。
「海洋石油開発のFPSO(浮体式海洋石油・ガス生産貯蔵積出設備)、FSO(浮体式海洋石油・ガス貯蔵積出設備)の建造、販売、リースを行っています。資本金は301億円、従業員は世界13カ国に3000人、うち日本人は185人です」
売上高は現在3800億円だが、会社解散という厳しい時代を振り返る。「1968年に設立、海底住宅、栽培魚業や海洋石油掘削装置、油輸送船建造など海に関することは何でも手掛けた。メインの海洋石油開発用船舶や特殊船の受注がなくなり、89年、原油価格の値下がりなどもあり採算が悪化、会社は解散しました」
解散した年、新会社が花街の神楽坂でスタート。「造船業界の二の舞にならないよう選択と集中で、仕事をFPSOとFSOに特化、造船も日本でなく海外に移すなど無駄を省きました。世界のFPSO需要が伸び、当社の売り上げも伸びて2004年に上場することができました」
苦難の時代を語った。「会社解散のときは30数歳、新会社はコンビニの2階でした。(支えとなったのは)上司が明るく前向きで、失敗しても励まされ、やればできる、という気持が芽生えました。社内結婚した妻の励ましも大きかった」
現在、水深3000~4000㍍にあるプレソルトという油田が注目され、同社もアフリカのアンゴラやブラジルなどで開発している。「14基のFPSOを所有して操業、世界の石油埋蔵量の30%が海底油田で、当社のシエアは2%。50万バーレルを生産、日本の1日の石油使用量(45万バーレル)にあたります」

海洋開発の今後については、「レアアース、レアメタル、メタンハイグレードといった海洋資源が注目されていますが、それが金を生むまでには時間がかかります」。難しいテーマだったが、80人の出席者からは多くの質問が飛び出した。
講演の前、前回の都民塾で実施した東京五輪(2020)の選手村に関するアンケートを基にまとめた『選手村計画への政策提言』を立石都議が東京都に提出することが明らかにされた。