都民塾

都民塾だより No.27

 第27回都民塾は、平成27年3月26日(木)午後7時から、東京都中央区の築地本願寺講堂で開催された。講師は、2年前にも「『アラブの春』からアルジェリア事件まで」のテーマで登壇された中東通で日本アラブ協会理事、元東京新聞編集委員、「メディアウオッチ100」同人の最首公司さん。今回のテーマは「イスラム国、いずこより来たりて、いずこへ行くや」。

 冒頭、講師についてリビアのカダフィ大佐と会見されたことや天皇陛下が皇太子の時代にアラブについて御進講をされた経験をお持ちであることなどが紹介された。これを受け、最首さんは「実は日本のイスラム・ジャーナリストとして初めてメッカ巡礼を果たした、ということでアラブの人たちが珍重してくれたお蔭」と経緯を打ち明けた。

 1971年、リビア・カダフィ大佐会見時のエピソードに触れ、彼は王宮を国民に開放し、自身は兵舎に住んでいた。「王宮をなぜ使わないのか」と聞くと、「国の先頭に立つ者の報酬は最低でいい」。「この言葉にはしびれた」と当時を回顧した。

 さて、イスラム国はいずこから来たのか。最首さんはまず用意したレジメに沿って「3大一神教」であるユダヤ教、キリスト教、イスラムの由来とその違いを解説した。預言者ムハンマドによって、それまでの部族ごとの神を一つにまとめる形で一神教を説き、「救世主は未来に現れる」という未来志向で政教分離型のキリスト教と異なり、「最後の預言者」に指名されたムハンマドが西暦622年に築いた「イスラム共同体」を目指すイスラムは、過去志向型の政教一致であり、原理主義の傾向が強いことを明らかにした。さらに預言者の後継を巡ってスンニ、シーア両派に分かれて拡散した、と中東問題の背景を話した。

 4年前、「アラブの春」で民主化が期待された中東だったが、軍部によるクーデターや権力の空白を埋める「イスラム国」が生まれ、これに周辺国や欧米、ロシアなどの利害がからんで、複雑化した。

 人質の首を切断するなどイスラム国の残虐性が目立つが、旧約聖書ヨシュア紀にあるように建国の際、大虐殺をしており、1946年のイスラエル建国時も同様のディール・ヤシン村虐殺事件を起こしている。ジンギスカンのモンゴル帝国もそうだし、国家ができる過程では、異教徒や先住民の皆殺しが起こるが、一神教の原理主義にはその傾向が強い。

 「2年前の講演でも言ったが…」と最首さん。中東社会は部族の縦糸とイスラム教の横糸が織られた布だが、21世紀になってインターネットという通信の網がかぶせられ、だれでも発言できるようになった。「これを巧みに利用しているのがイスラム国だ」と、元々複雑な中東がインターネットによって益々混迷を深めたと分析した。しかも、「イスラム国」は、イギリス、フランスの秘密協定で決めた国境をぶち壊す、と反欧米主義の若者を惹きつけ、王制や軍事政権を非イスラム的と批判するイスラム青年には「カリフ制」を掲げて引き寄せる。「イスラム国、いずこへ行くや」の解は、「イスラム国が消滅しても構成員は分散し、新たな戦闘員が生まれてくるだろう」。

 日本はどうしたらいいか。「安倍晋三首相の対応を見ていると、中東の人々の感性に疎い。どこも政権の力が希薄になっているので、民衆の心に訴えるべきだ。アラブの指導者は、多くの宗教が仲良く併存している日本に驚いている。日本はそういうソフトパワーを発揮するべきではないか」と提言した。

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