都民塾

都民塾だより No.83

 第83回都民塾(塾長 立石晴康前東京都議、代表世話人 野口和久)が、令和2年10月27日(火)午後6時半から、東京・中央区の築地本願寺本堂2階講堂で、元港区長で建築家・都市計画家の原田敬美氏を講師に招き「パンデミック後(コロナ禍)のまちづくり」をテーマに開催された。

 原田氏は、1949年生まれ。早稲田大学大学院修了。東京都港区区長1期。米国の大学留学。スウェーデン研修留学。さらに、米国フルブライト留学。工学博士、イタリアコメンダットーレ章叙勲。『欧米で学ぶ健康快適都市』、『私の官民協同まちづくり』など著書多数。

 原田氏は、新型コロナウィルスの罹患者数・死者数から説き起こした。「罹患者は、今年1月22日時点では、中国で8万人、2月末に米国ではカリフォルニアで28人、ワシントンで10人。それが、4月22日は米国で83万人、死者4万2千人と急増。直近では、世界で4千3百万人、死者115万人となった。

 日本は直近では、罹患者9万人、死者1700人と、それぞれ米国の10分の1。なぜ少ないのか。ひとつに欧米と日本の『ソシアル・ディスタンス』の捉え方がある。私が米国に出かけた際、現地の副知事、議員らと面談するが、彼らは写真を撮るときなど体を密着させてくる。白人と日本人とでは、距離の取り方が違う。ハグやキスの習慣の違いもある。

 ウィルスの歴史をみると、14世紀のペスト流行で宗教改革やルネッサンスが生まれた。イタリアでは、ペストで2年間で人口の3割が亡くなった。カトリックの牧師が都市から逃げ出し、生き残った人々の間ではギリシャ彫刻など美術品ニーズが高まった。

 こうしたウィルスの良い対策例として、アジア型インフルエンザ流行の際、1957年のアメリカ陸軍軍医のヒルマン部長の対応がある。彼はすぐに、香港からウィルスを取り寄せ、50万人分のワクチンを開発、多くの命を救った。

 私事になるが、1998年、東京都が作成した『インフルエンザ予防対策マニュアル』に関わった。部屋を密閉状態にすると罹患するので、室内の改造を勧めた。窓を開け、乾燥させるな、温かくせよ、手洗い、うがいの励行などを提案した。

 最後に本論になるが、世界では、これまで健康に留意した建築、室内気候、屋外空間の活用(レストラン、自転車)が行われてきた。フィンランドの建築家は、病院建築で日光浴用の屋上、光を入れる大きな窓、清潔な白い壁を取り入れた。著名な建築家のコルビジェは、100年前、フィンランドの建築家と同じような健康を考えた個人の家の設計をしている。

 また、米国のヒューストンにあるテキサス・メディカル・センターは、世界最大の病院群で、医科系や看護系の大学が集まっている。世界中から患者、家族が集まり、ホテルもあり、一大ビジネスになっている。日本でも、アジアから患者が来るような安心して治療が受けられる米国のメディカル・センターのようなものを造ったらいいのではないか」

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