都民塾

都民塾だより 特別講演

 都民塾(名誉塾長 故立石晴康元東京都議、代表世話人 野口和久)のプレ第100回目が、令和5年5月22日(月)午後6時半から、東京・中央区の築地本願寺2階講堂で、島根県太田市の瑞泉寺第 19代住職、三明慶輝先生を講師に招き、「立石晴康先生を偲んで-触光柔軟ということ-」テーマに開かれた。

 三明先生は、昭和28年、島根県大田市生まれ。龍谷大学卒業後、浄土真宗本願寺派布教師に。平成4年、瑞泉寺住職に就任。瑞泉寺は、世界遺産の石見銀山近く、同銀山を舞台にした千早茜の小説『しろがねの葉』が、今年の直木賞を受賞して話題となった。

 立石先生は平成11年から14年にかけて3度、瑞泉寺を訪問している。その様子から話し始めた。「平成11年の夏にいらっしゃった時、法話で「『蟪蛄春秋を識らず』(夏の蝉は春や秋を知らない)の法話をしました。自分のことは自分が一番知っている、の意です。立石先生は、この言葉を大層気に入って大事にしていました」

 続いて、この3年間苦しめられた新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行) に触れ、「コロナ感染症によって政治、経済、医療、教育、そして仏事まで混乱が生じました。パンデミックは100年に一度のペースで起きています。100年前は、スペイン風邪で、世界の感染者が5億人、死者 2500 万人に達しました」

 スペイン風邪に感染した島根県人の浅原才一の歌「風邪をひけば咳がでる 才一がご法義の 風邪をひいた 念仏の咳がでるでる」を披露。「この歌は、念仏を唱えると心が和むと、念仏の大切さを歌ったものです。パンデミックは、『奢れる者 久しからず』という人類への警鐘です」

 閑話休題で、大叔父の三明永無の話になった。「永無は、旧制一高、東大と作家の川端康成と寮で一緒でした。永無は、誰にたいしても隔てなく、幸せを願う慈しみの心の持ち主でした。川端の初恋の相手、伊藤初代と 3 人で撮った写真が瑞泉寺に保管されています。3 人の交流が、川端文学の原点だと言っていいと思います」

 このあと、「念仏者の生活」について、本願寺第 23 代門主、大谷光照の「おかげさまと生かされて ありがとうと生き抜く道」、宗教詩人の中川静村の「生かされて 生きてきた 生かされて 生きている 生かされて 生きていこうと 手を合わす 南無阿弥陀仏」などの歌人と歌を紹介。親や仏の願いを有難く受けとめる道を説いた。

 最後に、立石先生の都会議員8期32年の功績について、「訪導」という言葉を語った。「先に生まれた者は、後に生まれる者を導く、という意です。立石先生は、都民を幸せするんだという慈悲心があり、それを実践されました。お浄土で、先生にお会いできるため一日一日大切に生きていきたい」と述べ、父の三明慶泉の歌で締めくくった。

 又遭おう 一期一会の 椿散る

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