日本橋徒然草

NO.4 無常感

令和2年2月5日 立石晴康

 令和2年のお正月、1月も過ぎました。

 昔の人は2月を「逃げていく」と称しました。私の父などもよくこの言葉を口にしました。2月の節分も過ぎ、お正月の新年会をいくつか回りながら感じたことを思い出しながら書きます。

 町会や各種団体などの新年会も、乾杯がすぎてお酒が入ると、俄然会は盛り上がり、これからの事、過去のことなど思い思いに盛り上がります。本音もたくさん出て、思わずその通りだと同感します。

 日本橋には丸善と高島屋デパートの横道に見事な桜の並木道があります。昭和通りを越して兜町・茅場町から隅田川の堤防に至るまで、文字通り桜のトンネルになります。外堀通りから丸善の脇まで、その周辺で大きな再開発の計画がまとまり、この桜の大木を切り倒すという話を耳にしました。

 その後、再開発が出来上がった暁には、若い苗木が植えられるとの事でした。

 そこで移り行く街の風景と共に、多くの樹木が切られ、植えられ、変わっていく姿に、人も木もその命の無常さを感じました。ひとときは大きなお店もこの老木と同じように終わりを告げ、またその時代に合った新興のお店が芽吹きます。江戸東京の中心日本橋に限らず、日本国中あらゆる地域で、多かれ少なかれこの現象が続いていくことと思います。

 賑やかな新年会を終えて帰宅する際に、余計にその無常感が身に沁みる今日この頃です。

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