日本橋徒然草

NO.11 岩燕と梅雨明け

令和2年7月31日 立石晴康

 例年梅雨明けは小中学校が夏休みになる7月20日前後と考えていましたが、今年は梅雨明け宣言は今日までまだ聞かれていません。

 7月20日頃、梅雨明けは大雨が降り、雷が近い所にピカピカドーンと落ちた様子で、梅雨が明けました。しかし、今年はそれがありませんでした。でも何気なく朝のラジオを聞いていたらば、群馬県の農家さんから便りがあった、との放送を耳にしました。農家の母屋の岩燕が梅雨明けを知らせるかのように20日頃飛び立っていきました。

 大雨と雷が梅雨明けを知らせてくれた東京生まれの私は、ラジオの岩燕の話は初耳でありました。島根の友人は、鍾乳洞から岩燕が飛び立っていく姿が、子どもの頃からの梅雨明けと、楽しい夏休みの始まりと聞きました。

 世界的に広がるこの災難を身近に感じながら、私の祖母が「晴康、人生は運もあるけど災難もある。決して油断するな。」と口癖のように言っていたことを思い出しました。自然は、一分一秒の狂いもなく、季節を教えてくれている事を思うと、自然の大きな力を感じざるを得ません。コロナ、コロナで半年近く過ぎた私達ですが、100年前のスペイン風邪で(インフルエンザ感染症)、すっかり忘れていた歴史と自然の大いなる教えを再認識しました。

 例年、日本橋の旦那衆が集まって、7月の第4日曜日に、大々的に日本橋の橋洗いをいたします。ご承知の通り、日本橋は東海道をはじめとするいくつかの起点であり、道路元標があります。しかし、このコロナ禍で三密になるという事で、この名物の橋洗いが中止になりました。私の明治16年生まれの大伝馬町の祖母が、口癖のように言っていた言葉を思い出しました。「晴康、人生は運もあるけど災難もある。決して油断するな。」という祖母の言葉です。まさに世界の経済が瞬く間に失速した災難と言ってもいいと思います。

 今日もまた、東京では400名を超える方々が罹患されたと報道がありました。この災難が身近に感じられる事でした。

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