日本橋徒然草

NO.13 中秋の名月

令和2年10月3日 立石晴康

 10月に入り近所を散歩に出ました。日本橋両国(東日本橋2丁目)まで来ました。その日本橋両国の広場には現在白い石造りの記念碑があり、何が書いてあるか、興味本位で読んでみました。

 1657年の明暦の大火(振袖火事)によって多くの人々が亡くなった後、延焼防止のため火除け地と指定された空き地がこの両国広小路として発展したと記されてありました。先人の英知と努力を偲び、そして由緒ある両国広小路の旧跡を永く残すために建てられたようです。

 さらにまっすぐ進んで、有名な柳橋際から神田川に沿って浅草見附を左折して、横山町の問屋街を通りました。

 横山町の問屋街は明暦の大火まで、西本願寺の江戸御坊がありました。しかし、この大火で焼失し、佃島の熱心な門徒が駿河台の大地から江戸湾に土を盛って、文字通りの築地に西本願寺江戸御坊が移りました。(現在の築地本願寺)

 横山町に隣接する橘町(東日本橋3丁目)の町名は西本願寺江戸御坊があった頃、その門前に立花を売る店が多かったことから来ています。その橘町ロータリーから村松町(東日本橋1丁目)へと戻りました。

 さすがに猛暑の夏も過ぎ、爽やかな秋の気配を感じる今日このごろ、夕方から夜隅田川の上空にまんまるのお月様が出て、まさに中秋の名月を見ました。

 月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月、と古人が詠んだ通りだなあと思いながら家に戻りました。 

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