日本橋徒然草

NO.16 街路通りを楽しむ

令和3年1月 立石晴康

 新しい年を迎え、懐かしく思い出されるのがお年玉です。私の祖母(母方)の実家は、ちょうど今の日本橋税務署の付近大伝馬町にあります。この通りは通り名を「大門通り(おおもんどおり)」と言われています。区役所の通り名に「おおもんどおり」と書かれているのは、1657年「明暦の大火」以前に、この地が日本橋の大通りから少し南下した所にあります。明暦の大火以前は遊郭(盛り場)のあったところです。江戸市中は大火によって焼失し、この地も新吉原(しんよしわら)という所(台東区竜泉寺)に移りました。

 私の親戚はこの大門通りの大伝馬町で運送業を営んでおりました。昭和の終わりには東北定期便の事業をして、東京からサントリーの洋酒等を運び、帰り便は東北地方のりんご等の食料品を大型トラック数十台で東京に運ぶという仕事でした。この親戚の家に、私は子どもの頃、家族とともに新年のご挨拶とお年玉をもらうのが楽しみでした。

 当時は大伝馬町・堀留町界隈は呉服問屋の町で、今日現代はこの界隈の呉服屋さんは数件を残すばかりとなりました。

 祖母は静岡県の出身で、この大伝馬町に嫁に来たときは、その角の呉服屋さんを曲がって三軒目の呉服屋さんを南に行くと、五軒目の呉服屋さんの角をさらに曲がって七軒目の呉服屋さんの裏があなたの行く所だ、という笑い話をよく祖母がしておりました。そんな町も今現在すっかり様変わりして、日比谷線・新宿線・浅草線に囲まれた交通の便の良さから住宅地に変わり、マンション街となりました。町の様子はどこの町でも大きな変化を遂げた事ですが、特に大きな様変わりをして、この町は変わりました。

 お寺のある芝の大門(だいもん)は、浅草線の駅名にもなっていますが、増上寺の大門です。「だいもん」と「おおもん」の違いは、漢字で書けば大きい門と書き同じですが、役所の通り名はかっこ書きが付してありますが、大きな違いがあります。

 コロナ、コロナで1年近い時が過ぎ、自粛、自粛で近所を改めて歩いてみると、面白い町の変化に気づかされました。足元をよく見るようにともしかするとこのコロナ感染症が天の声で教えているのかもしれません。自分自身と自分の家族や向こう三軒両隣、それぞれ最も大切な一コマ一コマの風景・環境こそが大きくは全世界の事であり、この地球の異常気象をも警告を発している事なのかもしれません。奇しくも約3億km離れた小惑星に、はやぶさ2号が6年余をかけて到達したニュースが昨年の暮れに報じられていました。

 果てしない無限の宇宙も、究極、向こう三軒両隣の世界なのかもしれないなあと、そんなことを考えている私自身でありました。

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