日本橋徒然草

NO.19 御幸通りについて

令和3年4月 立石晴康

 千鳥ヶ淵の桜も見事にお堀にその美しい姿を映していました。我が母校久松小学校や、日本橋中学校の付近も何本か植えられた桜が見事に満開を迎えていました。

 令和3年3月末に、区役所の中央区環境土木部の方がお見えになりました。そこで、50年ほど前の29歳の初当選・初議会での発言を思い起こしました。

 三越・日銀の間を抜けるシンボルロード昭和通りを抜けて、堀留町、東日本橋ロータリーを通って、日本橋中学校の脇を抜け、隅田川に至ります。この道が「御幸通り」と呼ばれています。区役所の道路ガイド銘板にも書かれています。

 この歩道の幅が5mに拡大され、自転車道が新たに新設され、使いやすい道路ができます。一部は変則的にやや狭い部分もありますが、概ね御幸通りとしてのシンボルロードに相応しい道に改良されます。という区役所からの報告でした。

 河川法の16条があります。かつては水防道路として堤防から5mの幅員を持つ水防専用道路を持たなければならないという規定がありましたが、今では単なる水防ではなく、人々が美しい河川の水面を楽しめるようなスーパー堤防方式に変わりました。

 そんなわけで、隅田川も水面が見えるような形にようやくなりました。しかしこの道路へのアクセスは相変わらず高さ5m程の歩道橋でしかアクセスできません。

 故に、御幸通りのシンボルロードからは直接入る事ができませんでした。信号と階段とスロープを設置して、御幸通りから直接入れるようになります。私が現役時代から考え、初議会で発言した構想が着実に実現へと向かっています。


 私は、長い事町づくりに関わらせていただいて、つくづく有り難いなあと思っています。

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