日本橋徒然草

NO.23 猛暑

令和3年8月 立石晴康

 8月末、異常な猛暑が続きました。猛暑は猛暑でも、昔は立秋を過ぎると、残暑お見舞いのハガキを書いていました。それでも私の50年前の青年時代には、日中より27、8度の暑さで残暑と記憶していました。

 当時は夕方、中央区東日本橋一丁目の我が家の前の隅田川から皇居に向かう涼しい風が、「風の道」として心地よい夕涼みができました。同じく町内の頭(かしら)も仕事を終えて、石鹸と木製の桶を持って裏の銭湯の旧ほまれ湯に通う姿がありました。当時は内風呂(家風呂)が少なく大勢の方が下駄を履いて通っていました。和やかな夏の季節の風物詩です。夏の夕方、道路の日陰で縁台将棋を友人と指したことが懐かしく思い出されます。将棋の相手は同級生のK.R君でした。今は某音大の名誉教授をしています。頭のいい男でした。方や僕は、何番やっても勝てずにいよいよ頭に血が上り平常心を失い、一層負けが重なりました。懐かしい青年時代の思い出です。

 しかしここ数年、いつとはなしに34、5度の高温に悲鳴を上げています。今年は北海道でも都心と同じような高温続きの報道がされています。ソフトクリームや、ジンギスカン鍋を食した学生時代の友人との北海道旅行を思い出します。上野発の夜行列車に乗って故親友K.A君(慶応大学生)とY,Y君(立教大学生)の3人で窮屈な寝台車で早朝青森駅に着くと、青函連絡船に繋がって北海道に渡りました。今は海底トンネルと新幹線であっという間に渡れます。4人掛けで向かい合った席に3人で座り、一つ空いた席に石川県の金沢から来た可愛らしい帽子をかぶった女子大生と話しながら札幌駅に着きました。有名な札幌の時計台やクラーク博士の銅像を見て、中島公園で昼食をとりました。ジンギスカン鍋にサッポロビールの冷たいのど越しは本当に忘れられない美味しさでした。宿泊したのは北海道大学のポプラ並木の傍にある安宿に止まりました。(一泊550円でした。) 学校の同級生にこの宿屋を紹介してもらったことを記憶します。学生時代の周遊券を使って大変安い14日間の旅行でした。暑い毎日を過ごしながら、こんな夏の思い出振り返り、楽しい気分になりました。

 しかし、また一つ心配事もあるのです。兄弟がこの猛暑で体調を崩して入院しております。(コロナではありません)

 秋の訪れが一日も早く来てくれることを願っています。紅葉の便りが聞かれる頃には兄弟も元気になると念じています。

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