日本橋徒然草

NO.27 牡蛎と柿

令和4年1月 立石晴康

 朋あり遠方より来る、また楽しからずや。

 孔子様の論語の一節にある通り、懐かしい、親しい友人と久しぶりに訪ね合って酒を酌み交わし語り合うことほど、人生の楽しみはありません。

 毎年この季節に、広島の友人から銘品の牡蛎が送られてきます。私の好きな食べ物の一つです。

 彼は50年ほど前、東京九段にある二松学舎大学書道部の部長でした。私は既に区議会議員になっておりましたので、よく結婚式の仲人を頼まれました。いわゆる頼まれ仲人です。家内と二人で喜々としてお祝いに出席しました。

 しかし苦手なのはただ一つ。お祝いの御芳名欄の筆頭に寿と書いて筆で署名するしきたりには困りました。理由は書が苦手であまりにも立派な芳名簿が悪筆で汚れてしまうことに気が引けて、困った困ったと妻のしげ子に嘆いていました。

 すぐに行動するそそっかしい妻が、書道といえば国学で有名な二松学舎大学と決めてかかり、大人にでも書道を教えてくれる書道部の部長はいないかと尋ねました。そこに来てくれたのがH.Y部長です。地元の中学校の国語の先生を経て、今は既に定年退職して、現在も広島で書家として活躍しています。その後現在私に書道を教えてくれているのは、三代目の書道部部長のS.A氏です。彼は毎週水曜日に私の所に来て、個人指導をしてくれています。

 この脈々として続く広島の初代書道の先生H.Y氏から、美味しい海の幸広島の牡蛎が送られてきます。近所に住む友人たちと牡蛎鍋やカキフライなどを作って、牡蛎一色で楽しんでいます。まるで50年前の友情が今日に続いて楽しい夕べはその広島の友人がこの席にいる如く、私の食卓にあります。これを友情と言わずして、親友と言わずしてなんと称することができましょうか。ありがたいことです。

 牡蛎といえば40数年程前、初めて訪れたフランスのパリで、初冬の寒いオペラ座に続く石畳で、露店の屋台の牡蛎を食べたことを懐かしく思い出しています。弟の仏教青年会の友だちや、弟の夫人とし子さんもご一緒だったと思います。

 丁度その頃、日本橋の問屋の社長H.D氏から島根県の美味しい干し柿が送られてきました。大好物で食べすぎましたが、果物の柿と海の牡蛎を同時に食べて、日本は素晴らしい国だと改めて感じました。

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